はじめに
超高齢化社会がもたらす課題は、日本の社会構造のみならず個人に対しても変革が求められる。
その課題の一つが、健康に対する意識改革であり、もう一つは自立した生活力を待った高齢者(健康長寿者)を可能な限り増やすことである。
そのためには、「未病」の段階での対処が必要不可欠である。
そして、栄養と呼吸の取り入れ口である口腔機能が生命を守り、言葉と表情を作り出す口腔機能が人間としての社会生活を支えている。
つまり、口腔機能を維持することが、超高齢社会への対応の鍵となる。1.未病の背景「超高齢社会への課題」
高齢者の増加は、医療や介護・年金などの社会保障の問題だけでなく、社会の構造および個人の生涯の生活設計にまで影響を与えている。
この超高齢社会に向けた取組みを考える上で理解しておかなければならない2つの課題がある。
⑴1つ目の課題:社会システム全体の変革現在の社会は、労働人口が多かった昭和の時代に合わせたインフラであり、高齢化社会が進み労働人口が減少すれば、対応できなくなる。
そこで、高齢者が健康で生産的な生活ができるような社会をつくるための取組みが始まっている。
それが「ジェロントロジー」と呼ばれる学際的な学問で、加齢や高齢化を研究テーマにし、加齢に伴う心身の変化、高齢社会に起こる個人と社会の様々な問題を解決することが目的である。
それは、1903年フランス・パスツール研究所のメチニコフ博士が自らの長寿研究を「ジェロントロジー」と命名したことから始まる。
その後、アメリカの大学を中心に研究は発展し、欧米では多くの大学や研究機関で尋心研究と教育が行われている。
日本での歴史は浅く、東京都老人総合研究所がジェロントロジー研究を牽引してきたが、近年になって桜美林大学、国立長寿研究センター、東京大学などでジェロントロジー研究が開始されたばかりである。「ジェロントロジー」は、机上で理想的な企画を立てる学問ではなく、超高齢社会や長寿社会の抱える問題の解決策を見いだす実践的な学問であるため、地域社会や行政や産業界との連携を必要とする。
そうしたことから、東京大学では2009年高齢社会総合研究機構を設置し、高齢社会の多様な課題を解決するための研究活動を開始した。
千葉県柏市や福井県との長寿社会の町づくりや岩手県3地域における震災復興支援事業を行政だけでなく民間企業との産学連携事業を展開している。
その中でも千葉県柏市では「柏プロジェクト」と称して、二千人の高齢者を対象とした「虚弱・サルコペニアモデルを踏まえた高齢者食生活支援の枠組みと包括的介護予防プログラムの検証を目的とした調査研究」が進められ、徐々に高齢者の老化が進んでいく現象の構造が解明されている。
また、神奈川県においては「最先端医療と最新技術の追求」と「末病を治す」という2つのアプローチを融合し「ヘルスケア・ニューフロンティア構想」に取り組み始めている。参考
⑵2つ目の課題:個人の課題
長寿の時代となったことで、これまでのように60歳過ぎたら退職という画一的な「70歳までの人生設計」から、仕事を各自の人生のステージで捉え選択していくような「90歳までの人生設計」が求められている。
人生設計が長くなることは、労働年齢の延長を意味し、長い人生を健康で元気に働くためには、個々の健康に対する考えを改善しなければならない。
健康長寿の実現に向け、若い時から健康を意識させ、健康行動を獲得させることで、高齢期を迎えた時に病気療養や介護を減らす。
その個人の健康対策の柱が「未病対策」で、生活習慣病やメタボリックシンドロームや癌への検診の義務化は、早期発見・早期治療による医学的な未病対策であり、食生活や運動・睡眠などの生活習慣の改善を伴う社会参加は、個人の生活そのものを見直す重要な未病対策である。
そして、何よりも医療者である私たちが「未病を治す」という予防意識を持たなければならない。2.未病の背景「未病の概念と考え方」
「未病」という概念は、中国医学やアーユルヴェーダにある概念であり、その中心的な役割は養生医学にあった。
未病という言葉は、2000年以上前に記された中国最古の医学書『黄帝内経 素門』のなかに「是の故に聖人は已病を治さずして未病を治す」と記されており、当時は、未病を治す医師こそが上級の医師と考えられていた。
中国医学における未病の概念は、健康と病気とは一線を画すことができず連続線上で「揺らいでいる」というダイナミックな捉え方をしていて、その際に健康と病気の間に未病という段階を認識し、それにアプローチを行うことから予防医学的な概念といえる。
また、神奈川県が考える未病も「心身の健康と病気の間の連続的な変化の過程を現す概念」として捉えている。
こうした未病の概念は、現代医学にはないわけではなく、最近は臨床検査の精度が向上したことで、病気の前段階の予知や生活習慣病や不定愁訴に対しても対応することが可能になってきた。
しかし未病に対する行為は予防的で、その対処法も多種多様で、個々の特性や環境に対し導入を図る自然的な対処が中心で、未病を医学とするには「健康と病気の間を科学する」実践的で学際的な研究が必要となる。
健康とは、WHOでは「身体的、精神的、社会的に良い状態」という定義を挙げている。
しかし現実的には、健康とは半健康・半病気をも含んだ範囲の中で『ゆらいでいる』状態ではないだろうか。
その時、その体と心を揺るがせているものは「生活」そして「機能」であり、未病とは、生活や機能が揺らいだ結果生じる「状態」と考えられる。
この「状態」が継続した生活の結果、心身に器質的に変化したものが病気であると考えられる。3.未病の背景「超高齢化社会での未病対策」
これまでの高齢社会での医療介護体制は、『虚弱期における質の高いケア』を中心としたもので、我々が行っている口腔ケアにおいても同様である。
医療現場での口腔ケアは、看護ケアの一部として虚弱期の高齢者を対象に行っている。
しかし、今後さらに超高齢社会の到来が予想されることから、ケアを必要としない高齢者を増やす対応も求められる。
老年になっても、急激な体力の低下が起きないよう、普段から強い体力や高い機能の質を獲得し維持していくという考え方が必要である。
同時に、未来の老人である子ども達には、成長期に高い機能の質を獲得させなければならない。
こうした健康志向の高い社会をつくることが、超高齢化社会での対策ではないだろうか。
老化に伴う衰退・減弱の構造は、2つの起点から始まる。
⑴一つは、社会参加の減少に伴う運動不足と体力の低下が、加齢性筋肉減弱(サルコペニア)を招くことがら始まる。
⑵もう一つは、口腔機能の軽微な機能低下が、偏食や食行動を制限させることで食環境を悪化させ虚弱(フレイル)を招くことから始まる。
この二つの弱体化が、互いに衰退・減弱を繰り返すことで徐々に全身の機能低下が進み、最終的には生活機能障害となり重度の介護期へと向かう。
日常での生活活動が低下すれば、身体運動が減少するばかりか精神的な活動も低下する。
また、社会参加の減少による会話の減少は口腔機能全体を低下させる。
口腔機能の軽微な機能低下は、咀嚼と発語と嚥下に認められ、食事中に舌や頬を誤って噛む、滑舌の低下、ムセの増加などから口腔機能の協調性が低下していることが推察できる。
歯の喪失が、口腔機能の低下を引き起こすと考えられているが、実際にはもともと口腔機能の質が低かったことで歯を喪失し、さらに口腔機能の低下を招いたところに、生活・社会活動の低下や全身疾患による影響が重なり、より急激な低下が生じると考えられる。
このように、未病とは機能の課題であり、その対策の根幹には生活機能への対応が重要である。
よって、生活機能そのものである口腔機能を維持・向上させることは「未病を治す」上で大変重要なことである。4.未病への歯科の対応とは
辻哲夫氏
本編のテーマである『「未病を治す」に歯科がどうかかわるのか』は、口腔機能の質を向上させることにより生活機能の質を向上させることであり、未病への取組みであると考えられる。
そこに私たち歯科はどう関わるのか、日本歯科医師会茶話で東大高齢社会総合研究機構・特任教授辻哲夫と前大久保会長との「口腔ケアの専門性」についての対談で、辻氏は「口腔ケアの専門性とは、アセスメント能力、摂食機能をはじめとした口腔機能がどのようにケアされているかだ。
この判断能力、判断して直接措置する力、関係職種に支持する力などを持つこと、それが専門性ではないのか」さらに「一番犬切なことは、いかにいつまでも自分の口で食べられるかである。
そのためには、歯だけでなく口全体をどのようにメンテナンスするかということが上位概念と認識している」と述べている。
辻氏は、口腔健康維持増進を図ることはもちろん、関係職種に対して患者の全身的健康を目標とした歯科医療者側からの発信の重要性を説いている。これまで私たちは、う蝕と歯周病への対処こそが歯を残存させ、歯数が多ければ口腔機能は保たれると考えてきた。
しかし、歯が存在しても誤嚥や窒息は減少することはなく、睡眠時無呼吸も睡眠障害も引き起こされる。
さらには、多くの歯を残存したまま体が動かない状況になった時には、歯の清掃が困難なために生命の危険性を増加させてしまうという新たな課題も出始めている。
これまでの「歯の健康」から「口腔の健康」へと転換する必要があると思われる。一般的には、「口腔の健康」とは歯科疾患がないことだと考えてきた。
これは、生物医学モデルにおける「健康とは疾病の欠如」の定義によるが、しかし「病気がないこと」は、健康の一部といえるが、口腔が健康であるとは「病気がないこと」以上も意味する。
そこで、「生物学的不利が存在するか」という視点から考えると、健康とは生物学的な不利を持たない状態ともいえる。そうした点で竹内光春(元東京歯科大名誉教授)の口腔健康の定義は、口腔の健康を広く捉えており、「健康な歯牙口腔とは、『正常な発育』『機能の発揮』『疾病異常がない』ことをもって口腔健康となす」と述べている。
さらに「前二者の歯牙口腔の健康が主体をなすものであって、単に疾病異常の予防ということではない」と続けている。また、大竹邦明は、その著書で「健康とは、疾患がないだけでなく、その人なりの社会的役割を十分に発揮しえることだ。口腔にとっても、口腔が持つ役割・機能が十分に発揮できる状態になっていることである。疾患がないということは、必要条件に過ぎない」と述べている。
人を全体として捉え、その人を取り巻く生活環境を整備していく存在となることが歯科医療者には求められる。6.口腔機能とは
口腔の健康が、口腔機能の獲得とその機能の発揮によりもたらされる。
口腔機能の質や顎口腔の筋肉のバランスは歯列・咬合に強く影響し、不正咬合は必ず何らかの機能不全を伴う。
そのため、発達期の小児にとって順調な口腔機能の獲得こそが歯列・咬合の育成と歯列咬合異常の予防をもたらすことになる。しかし、実際には口腔機能が獲得・発揮できない原因は明確ではないことから、人為的に成長期の小児に口腔機能を順調に獲得させることは非常に難しいといえる。
よって、すべての成人には口腔機能の質に差があり、高齢者となった時に大きな影響を及ぼすと考えられる。主な口腔機能とは、摂食、呼吸、発語、表情表出そして感覚情報の入力である。
これらの機能は、生命維持と人間としての社会性に強く関わる。
そのため、生活弱者である乳幼児や高齢者・要介護者が口腔機能の低下を招くことは、日常生活の自立に影響を与える。
よって、成長期の小児には順調な口腔機能の獲得を、高齢者には機能の維持・すみやかな回復を図ることが重要な課題となる。7.口腔機能が発揮するとは
口控の機能を解剖学的視点から見ると、口腔機能は摂食機能(咀嚼・嚥下)・呼吸機能・発語機能の3つと考えられる。
これらの機能は「咽頭腔」を協同利用しているために同時に機能させることができない。
それは、ヒトが進化の過程で直立二足歩行となったことにより体幹の中での頭蓋の位置が変化し、咽頭腔の拡大が生じ軟口蓋と喉頭蓋が離開した。こうして生じた軟口蓋と舌による咽頭控の閉鎖と共鳴により、人間は口呼吸と発語という新たな機能を獲得したが、その反面、窒息や誤嚥、習慣性口呼吸や睡眠時無呼吸という生命の危機に関わる課題も手に入れることになった。
従って、口腔咽頭腔の構造から見た口腔機能のメカニズムとは、この3つの機能を切換えることであり、この3つの機能を切換えるチカラこそが「口腔機能が発揮する」ということになる。口蓋帆咽頭閉鎖 口峡閉鎖 喉頭蓋閉鎖
鼻呼吸 開 閉 開
咀嚼 開 閉 開
嚥下 閉 開 閉
口呼吸 閉・・・開 開 開
発声発語 閉 開 開
開(m・nなどの鼻音、ŋなどの鼻濁音)
8.口腔機能のメカニズムとは
口腔機能は、『圧』に対応して機能調整される。
呼吸や発語時には、空気力学的要素(鼻腔の通気性、肺・気管の伸展性、喉頭の空気速度、口腔の容積と圧、口唇の膨らみ)により調整される。
嚥下時には、食行動的要素である食塊の圧により調整される。
これら2つの調整機構の中で口腔と咽頭腔の境界で圧の調整をする中心的な働きをしているのが軟口蓋であり、軟口蓋の働きにより瞬時にして嚥下機能と呼吸機能と発語機能を切換えられる。高齢者は、体幹の筋力が低下してくると、頭部が上方に傾き首が伸び口腔咽頭腔の陰圧形成が不十分になり、咽頭と口腔の圧受容が低下し、嚥下反射や咳反射の低下が起り、誤嚥が発生しやすくなる。
また、脳深部皮質における脳血管障害(ラクナ梗塞)が生じた時、ドーバミンの減少がサブスタンスP分泌を減少させ口腔咽頭腔の圧受容を低下させ誤嚥を発生する。
サブスタンスPが低下すると圧受容が低下し食物や痰を感知できなくなり誤嚥につながる。
臨床的には、サブスタンスPの上昇にカプサイシンが用いられるが、口腔への触覚刺激を与えるとサブスタンスPの分泌が促進される。
口腔ケアの本来の目的とは、口腔清掃による感染の防止だけでなく、口腔内や顔面周囲への触覚刺激によるサブスタンスPの分泌促進による咽頭と口腔の圧受容の改善といえる。9.歯科の末病への取組み「栄養と口腔機能」
ヒトの栄養行動は、環境からの食の選択に始まり、調理・加工という体外過程を経て、取込み・咀嚼・嚥下という口腔内の過程から消化・吸収・排泄の体内過程を経て生活体に寄与される。
歯科が関わるのは、調理・加工から咀嚼・嚥下までの過程で、「食の効率化」と「食行動の安全」が活動目標の柱となる。そこで、栄養と口腔機能への具体的な取組みを大きく3つに分けて考えてみる。
1) 確かに食べるチカラ
咀嚼とは「食物を歯列で噛み潰しながら唾液と混ぜて食塊を形成する過程であり、咀嚼運動は、下顎、口唇・頬、舌、軟口蓋の4つのパーツが協同・協調しながら口に入れた食物を食塊にする運動である。
この咀嚼機能を守ることが口腔機能全体の老化を遅らせる手だてになると考えられる。2) 安全に食べるチカラ
安全に食べるとは、咀嚼において異物を排除する力と安全に嚥下する力。【口腔の異物排除力】
咀嚼運動により下顎・舌・口唇・頬・軟口蓋からの感覚人力で異物に対する情報が入るが、高齢者は、老化に伴い咀嚼運動が低下するために異物排除力が落ちると考えられる。また、食べることは、味覚だけでなく触覚に付随した温度や圧、それに関節や筋肉や歯根膜からの固有感覚が人力される。
食行動は脳の認知機能を高める上で最高の感覚刺激を入力してくれる。嚥下と呼吸のCPG(Central Pattern Generator)は、いずれも下部脳幹にあり解剖学的に近いだけでなく機能的にも相互の神経結合により密接に影響し合っている。
このため、発語時は嚥下も呼吸も抑制され、嚥下をする時には呼吸が抑制される。嚥下は、呼気一吸気の呼吸サイクルの「呼気」中に一瞬呼吸を止めて嚥下する。
これを「嚥下性無呼吸」という。
嚥下は、呼吸サイクルの合間を縫って呼吸を止めたわずかな時間内で嚥下を終わらせなければならない。
つまり、嚥下のために一時的に呼吸を止めている時間内に嚥下が終わらなかったために生じるのが誤嚥である。
誤嚥の原因としては、加齢による咽頭腔の拡大がある。
咽頭腔が拡大すると食塊の移動時間が延長することで呼吸を止めている時間内に食塊が通過しなくなり誤嚥しやすくなる。
また、高齢になると口数が減り、話さなくなることも口腔機能の切換え機能が低下する原因と考えられる。
さらに、前歯の喪失による口唇閉鎖圧の低下が食塊の移送時間を送らせ誤嚥の原因となる。
また、習慣性口呼吸者では呼吸サイクルに乱れが多いことがわかっているが、習慣性口呼吸者も口唇の閉鎖をおこなわせると呼吸サイクルの乱れが消失する。3) 乱れない食行動と食習慣
現在、一部の国と地域を除いて栄養不足もなく健康と長寿を手に入れたように見える。
しかし、肥満やメタボリックシンドロームに代表されるような生活由来の慢性疾患が世界中に蔓延している。
そうしてみると、私たちの身体は現代の便利な生活や経済中心の社会形態には適応できていないとも考えられる。
この現代の生活の中で悪循環を断ち切り健康に生きるには、食にしても身体活動にしても「選択できる判断力」が重要だと思う。
環境から食を選択し、体内に入れるかどうかは口が決定する。
口の機能を発達させ、形態を成長させることは、身体に合った食を選択する食行動や食習慣を身につける上で不可欠である。【食習慣の形成の基盤】
乳幼児と高齢者には、共通点が多く存在する。
その中でも、乳幼児も高齢者も生活弱者だということである。
乳幼児は生活機能を獲得し、集団生活ができるように自立することが目標である。
高齢者は、生活機能を保持し衰退しないよう自立を継続させることが目標である。
乳幼児の自立が遅れると「養護」が継続され、高齢者が自立を失えば「介護」となる。
つまり、自立というのが老いも若きも人間として社会生活を送る上での最低条件である。
保育の目標が「自立」であるように、長寿の目標も「自立」である。その自立を支える基盤となるのが、生理的調整機能と感覚運動調整機能である。
生理的な調整機能が獲得されることで、自律神経系と内分泌系と免疫系の生体恒常性を機能させ、生命保持と健康の基盤を形成される。
その生理的調整機能を獲得する上で重要なことが、毎日の生活リズムである。
同じリズムで生活し「型」を作ることにより調整系は保たれる。
その生活リズムを形成する上で大切な原則がある。
生活リズムを構成する要素である食事・睡眠・運動(行動・遊び)は、互いに強い関連性を持ちながら影響し合う。
食行動が不活発になる背景には、睡眠不足による腸管の運動性の低下や、運動の不足による空腹感の欠如などが強く関わる。
こうしたサーカディアンリズム(体内時計)の不調をリセットさせるには、「朝の光」と「食事」が最も効果的な要素である。10. 歯科の未病への取組み「口腔機能と睡眠」
日本人の睡眠時無呼吸症候群のタイプ別分類
下顎の後退が、気道を狭窄させ睡眠中の呼吸障害につながることは広く知られている。
しかし、日本人の睡眠時無呼吸の原因は、軟組織型50%、骨格型10%、混合型30%といわれており、下顎の後退だけが睡眠障害につながるわけではなく、むしろ軟組織の問題が大きいことがわかる。
口腔機能を形成する4つのパーツの共同・協調運動の質が低ければ、パーツの個々の質や歯列の形態にまで影響し、下顎の後退を生み出し睡眠障害を生じさせる。さらに、高齢者の体力低下による姿勢の崩れは咽頭と口腔の陰圧の低下を招き、老化による喉頭の下垂は軟口蓋と喉頭蓋の連動を悪化させ、下顎をも後退させる。
下顎が小さく後退する過蓋咬合の幼児を毎日歩かせると過蓋咬合は改善されることから、下顎が後退傾向の高齢者にも歩行運動は効果的と思われる。また、夜間睡眠時に睡眠障害のある乳児に対し哺乳しにくい哺乳瓶での授乳をさせたところ、2週間で夜間睡眠時の姿勢や呼吸が改善したことから、高齢者にも口で強く吸ったり吹いたりする運動が効果的と考える。
最近では、デイケアなどの施設でストロ一や風車やフーセンを使って口腔機能を高める訓練をするところもあるようだ。睡眠中の姿勢に対し横向きやうつぶせで寝る姿勢がよくないとする意見もあるが、下顎が後退しやすく、呼吸筋の働きが弱い乳幼児や高齢者では、そうした姿勢がもっとも呼吸筋が安定するために呼吸しやすい。
私たちの姿勢や運動は、体幹を安定させることで粗大・微細運動や口腔機能だけでなく感覚入力の安定にまで関係する。
こうしたことを理解するには、脳性麻痺児の運動や姿勢、さらには咽頭腔の伸展による口控機能と呼吸機能の低下、そして歯列・咬合の歪みの変化過程をみればよく理解できる。
安全で安定して呼吸できる姿勢を見つけた上で、睡眠中の姿勢の根本原因を探り、改善することが大切である。11.歯科の未病への取組み「口呼吸の害」
呼吸様式の転換
口呼吸の為害性は、広く認知されはじめているが、口呼吸自体は、正常な口腔機能として鼻呼吸の補助的呼吸として存在する。
環境温度や心身が多くの呼吸量を必要とした際には、自然と口呼吸は発動される。一般に口呼吸の原因は、口唇閉鎖不全と考えられているが、鼻呼吸から口呼吸への転換の機序は、posterior oral sealingとして咽頭腔の内圧を保持するために働いている口峡閉鎖が破綻した時に口呼吸になる。
軟口蓋と舌の密着がしっかりしていれば、いくら鼻閉により鼻腔通気抵抗が上昇しても鼻呼吸を維持できる。しかし、軟口蓋と舌の密着が弱いと鼻閉の程度が少なくても口峡閉鎖は破られ、呼吸気は容易に口腔内へ侵入し下顎の後方回転や舌の低位を作り口腔内に呼吸路をつくり口唇閉鎖(anterior oral sealing)を破壊して口呼吸が開始される。
つまり、口唇閉鎖とともに安静鼻呼吸時における軟口蓋と舌の密着による口峡閉鎖は大切である。老化すると口腔周囲筋の低下による口唇閉鎖不全と下顎の後退とともに、軟口蓋の運動性が低下することで軟口蓋が肥厚したり伸びたりして、口呼吸だけでなく、睡眠時のいびきや無呼吸にもつながる。
睡眠時無呼吸は、単に呼吸を止めるというだけでなく、慢性的に無呼吸が継続すれば循環系や脳血管系に負担がかかり、それらの臓器での問題が生じることになる。老化すると口腔周囲筋の低下による口唇閉鎖不全と下顎の後退とともに、軟口蓋の運動性が低下することで軟口蓋が肥厚したり伸びたりして、口呼吸だけでなく、睡眠時のいびきや無呼吸にもつながる。
睡眠時無呼吸は、単に呼吸を止めるというだけでなく、慢性的に無呼吸が継続すれば循環系や脳血管系に負担がかかり、それらの臓器での問題が生じることになる。健常者と慢性扁桃炎の唾液におけるOUT数の比較
習慣化した口呼吸は、口腔乾燥や口臭といった問題を引き起こすだけでなく、口腔内や咽頭腔に慢性の病巣を作る可能性が高い。
その慢性病巣での継続的な炎症が免疫の過剰な反応を生み出し、免疫システムの異常からアレルギー疾患、リウマチ、掌蹠膿疱などの免疫疾患の原因となる。
腎臓透析患者の半数近くを占めるIgA腎症も上咽頭や口蓋扁桃、根尖病巣などが病巣となって発症することが考えられている。まとめ
超高齢社会を迎えて社会構造の改革とともに個人の健康に対する備えが求められ、生活自立のできる高齢者を増やすため「未病」という概念により健康を守る意識を高めようと「食生活、運動、社会参加」の3つの取組みが始まろうとしている。
また、老化構造の解明により口腔機能の低下が高齢者の心身虚弱や生活機能障害に至る引き金の一つとなっていることが明らかになり、歯科は口腔機能に対する取組みを避けることができなくなっている。
歯科が「未病」への対策を考える上で問題なのは「私たちは口控機能の獲得に始まり、老化して口腔機能が滅弱していくメカニズムや過程を知らない」ということではないだろうか。
これまで、歯の存在を中心としてみてきたことで、口腔機能を発達や時間的な視点で評価する基準を持っていないのが現状である。
それは、母子手帳をみればよくわかる。
母子手帳には、全身の運動発達が、誕生からその順応性や方向性がマイルストーン(里程標)として記載され発達の指標となっているが、口腔では歯に関することが中心で口腔機能の運動発達の指標が存在せず、歯の萌出を成長と結びつけることで口控機能発達の指標としているだけである。
臨床においても、一部を除き口腔健康の主体をなす口腔機能については評価も直接的な働きかけもしてこなかった。
老化においても同様である。
今後、全身における虚弱(フレイル)や筋肉減弱(サルコペニア)による運動器不安定症(ロコモティブシンドローム)の研究はさらに進むと考えられる。
歯科は、成長発達に伴い口腔機能を獲得していく過程とともに、老化により減弱する口腔機能の現象や関連因子に対する研究を行い、口腔機能のマイルストーンを完成させる必要がある。
そして、その向こうには、歯科が「未病」を治す旗手となる大きな可能性が広がっている。